地域おこし協力隊として宍粟市に移住したのは、2021年3月下旬のこと。

都会生活をしていた3月までと違い、寒い。初めは「そんなものか」と思っていたが、4月になっても寒い(特に家の中)。北海道のニセコ町でひと冬を過ごした時よりも、豪雪地帯での暮らしに興味を持ち、厳冬期の会津地方に2年連続で滞在した時よりも、宍粟の春のほうが寒く感じた。


おそらく北海道や東北の寒冷地では寒さに耐えうる家屋構造であったり、暖房設備が標準装備なので室内は暖かい。しかし宍粟は、関西に位置しながら盆地で(京都は盆地で夏は暑く冬は寒いと言われるのと同じことだと思う)家の中がめっちゃ寒いため、「自分の身は自分で守らないといけないのだ」と体感した。


桜が咲き始めてもまだ朝晩が寒いと地元の方に話すと、「うちはGWまでコタツ出しっぱなし。寒いからね。」と。なんだ、皆同じなんだ、と安心(?)したのを覚えている。そんな”春なのに家の中が寒い問題”にびびっていた都会育ちの私が、今、宍粟市で初めての冬を迎えている。

そして2021年12月18日、初雪が降り積もる中、人生で初めて、鹿を獲り、命を頂いた。もともと狩猟に興味があったわけではない。ただ、自給的な生活をしてみたいと思ったからには、一度は向き合うべきだと考え、夏の間に夫と狩猟免許を取得していたのだ。雪が降る中、夫と私は大きなメス鹿を川沿いで解体し、その命を頂いた。生涯忘れられない一日となった。


宍粟市の名の由来は諸説ある。
ひとつめは「宍」は肉、「粟」は穀物を意味し、狩猟と農耕が豊かな土地を表わしているという説。もうひとつは『播磨国風土記』に記載されている「宍禾(しさわ)」で、イワノオオカミ(伊和大神)がアメノヒボコ(天日鉾)との争いで大きな鹿に出会ったことから、「鹿会う(ししあう)」→宍禾(しさわ)→宍粟となったなどの説だ。

それほど野生動物が多く、豊かな森林で生息し人間と共存していた宍粟だったが、近年では動物たちが食べ物を求めて民家近くまで現れ、農作物への被害や造林木への剥皮害などが深刻化している。かつてはそれぞれの領域で暮らしていた彼らは今は有害駆除の対象となってしまった。

そんな彼らを、嫌がるだけでなく、怖がるだけでもなく、どう向き合って何を生かせるかを模索しつつ、私はここで田舎暮らしを続けていきたい。