田舎に暮らし始めて5年目。
よく目にするモノの中で、頻度が圧倒的に高くなったのが「農作業」だ。
散歩をしながらそれを眺め、おしゃべりし、お裾分けをもらったりなど、ありがたい日々を過ごしている。
そんな中でお米を作る工程や成長過程を、年間を通して見ることができる。
よくテレビなどで目にする稲作のイメージは、
「田植え」「稲刈り」「お茶碗に盛られた炊き立てご飯」ではないだろうか?
しかしそれ以外にも「準備」「管理」「稲を米にする」「米を食べる米にする」等を加えて、
細々したものを加えると、実にたくさんの工程があるらしい。
「米」という漢字は分解すると、【八十八】。
「米を作るに際し、八十八の工程がある」というような由来もある。
よくできている。
米を作っている皆さんは、それらを毎年行っている。
そして出来上がったお米を、僕たちは美味しくいただいている。


自分たちの生活の中の「当たり前」に出来ているものは、
別の所で多くのことを「当たり前のように」おこなってきた結果なのだ。
それぞれの「当たり前」は違うんだと気づかされる。
どれも実家にいては気付かなかった事だ、
気付かなければただ漫然と生きていたかもしれない。
自分自身の身の回りにある「当たり前」にある物事に目を向けたり、
意識してみるのもいいかもしれない。

教えられるがままにただ言っていた「いただきます」
でも、食材を作った人、料理をしてくれた人、
その他間に入っている様々な物事等、
それらに対して敬意を表し「いただきます」という感謝の気持ちが乗っかって言うんやろうね。
親が言っていた「好き嫌いせずに食べなさい!」は、
僕自身の成長や教育や躾以外にも、
「色んな人の手間ひまがかかってるんやから感謝して食べなさい!」が加わるんやろうなと
実感を伴って改めて感じるようになった。
田舎は、そんな思いにさせてくれるキッカケをくれる地域です。

1979年7月27日生まれ。神戸市生れ、宍粟市千種町鷹ノ巣在住。子供の頃からお盆と正月に母親の出身地である山崎町を訪れ、里山暮らしの楽しさを記憶に刷り込まれる。あるキッカケから「田舎で生きる」と目標を定め、現在生き抜く手段をもがきながら画策中。